【電子ペット】✨たまごっちと命の話〜ぬいぐるみ病院からはじまり宗教にまで話が広がった〜
こんにちは、カッパママです!


先日、ぬいぐるみ専門のお医者さん(ぬいぐるみ病院)の動画を観たカッパママ。
そこではぬいぐるみがまるで人間のように丁寧に“治療”されていて、
「なんてやさしくて平和な世界なんだろう…」と、心がじんわり温まりました。
そんな動画を観ていて、ふと思い出したのが――
たまごっちの供養の話。
1990年代後半のたまごっちブームのとき、
広島の観音院というお寺でたまごっち供養のセレモニーが行われていたそうです。
しかも、なんと延べ1万人以上が参加したとか…!
実はこの話、数ヶ月前にちらっと知っていたんだけど、すっかり忘れていて。
今回ぬいぐるみ病院の動画を観たことで、「あ、あのこと調べてみよう!」と再び思い出したのでした。
カッパママも当時たまごっちを育てていたんだけど、
育てた子が死んでも「供養」というところまでは思い至らなかったのが正直なところ。
でも、実際に供養までしていた人たちがいたと知って、
「そこまで大切にしてたんだ…」と驚きつつ、
自分の向き合い方をちょっぴり反省したりもして、
なんだか複雑な気持ちに。
ちなみに、たまごっちスマートで育てていた「いちごっち」。
1年一緒にいるつもりだったのに、うっかりお世話ミスでさよならしてしまった時は……けっこうショックでした。
そんな供養の話を深掘りしていくうちに、
なんとイタリアで、たまごっちの死にショックを受けて少女が卒倒する事件があったという話にたどり着きました。
しかもそれを受けて、カトリック教会が
「じゃあ本物の命を育てよう!」とヒヨコ育て運動を始めたんだそう。
昔のカッパママだったら「へぇ〜そんなこともあったのか〜」で終わってたかもだけど、
今回はなぜか気になってしかたなくて、
いろいろ調べてみることにしました。
カトリック教会がヒヨコ運動を始めた理由――
それは、「ゲームに“死”を設定することが、神の教えに反する」と考えたから。
え!?ゲームの終わりが「死」って、そんなにマズいことなの??
…ということで、カッパママはチャッピー(chatGPT)と一緒に調べてみました。
以下は、チャッピーによるわかりやすいまとめです👇
1. 命は神のものであり、人間が終わりを決めてはいけない
カトリックでは、命は神から与えられ、神によってのみ終わるべきもの。
ゲームのように人間が死のタイミングを決めることは、「命の神聖さを損なう行為」と捉えられる。
2. 死が“娯楽化”されているように見えた
育て方を間違えると死んでしまう、すぐリセットできる…
そういった仕組みは、「命を軽んじている」と懸念された。
3. 本物の命と向き合わせたかった
だからこそ、「リアルな命=ヒヨコを育てよう」という運動につながった。
🎯 つまり
カトリック教会にとっては、「命にどう向き合うか」という態度そのものが問題だったのです。
それにしても、たまごっち一つでここまで反応するの…?とも思ったけれど、
カトリック教会には、十字軍や異端審問など、歴史の中で命に関わる出来事があったという過去があります。
だからこそ、「命の扱い」に対してとても慎重で、敏感になっていたのかな・・・
そう考えると、たまごっちの“死”に敏感になるのも、ちょっと納得できます。

たまごっちがきっかけで、まさかカトリックの教えに触れることになるとは…
カッパママ自身、びっくりでした(笑)
次のたまごっちは「宇宙レベル」「細胞レベル」のお世話ができるそうなので、
またなにかたまごっちを通して新しい発見があるかもしれない!?

楽しみです♪
本当に余談なんですけど、ぬいぐるみ病院の話を聞いて、仕事って生み出せるものなんだな・・・すごい・・と思ったカッパママです。
ポケットの中であれこれつぶやいています♪